売るのは罪にならないってはじめて知った
オレンジの灯りの中、大人の掟をリピート再生。
毎週毎週カルテットに殺されている。
高橋一生を見てただバカみたいにニヤニヤ出来るドラマだと思っていたのに。。。
ゆるやかに優しく残酷な程に冷たく予測や期待をぐしゃっと踏み潰してにこやかに微笑みかけてくる。真綿でするどく首切りにかかってくるんだもん。最高。
あと高橋一生はずっとノーパンでいいからウルトラソウルのパンツを売りに出して欲しい。3万までなら出せる。
ありえないようなスリリングな事が目まぐるしく起こるなか、もはや定番となっているダイニングテーブルでの食事シーン。
それぞれがそれぞれの思惑を抱えていたり
誰かの傷をなぐさめていたり
壊れそうなもの既にめちゃくちゃに壊れてしまったものを見て見ぬふりして取り繕ろっていたり
見えないものをここに在るんだと確認するように
圧倒的な日常に色んなものを溶かして不可逆を受け入れる。
【温かいごはんをみんなで食べる】
【同じシャンプーを使って頭から同じ香りがする】
そうゆう些細な事
些細な事だけれど泣こうがわめこうが例え人を殺しかけてしまってもただ無慈悲に流れていく時間の中にある【いつもの光景】はいわばセーブポイントなんだと思う。
とりあえずそこまでいけば、そこにいる間は、
いつも通り
がそこにある。
ドラマほどスリリングに目まぐるしく何かが起こるわけではないけれど、生きてればそれなりに
酔ってもないのに家の中で盛大に転んだとか
10年以上ロングだった髪をばっさりショートに切ったとか
そしたらロングの方が好きって言われたとか
短期間で告別式が2回あったとか
大なり小なりあるわけで
そこで抱えてしまった、立ち止まりたくなってしまった時に【日常】というセーブポイントがあれば、願わくはそれが"自分以外の誰かがいる温かい光景"であれば、人は何となく孤独を和らげて生きていけるんじゃないだろうか。
私の日常はといえばここ数ヵ月"オレンジの灯りの下"で成り立っている。
お洒落ぶってるわけではない、蛍光灯が切れただけ。
ワンルームの狭い部屋なのに無駄に天井が高い。そのせいで蛍光灯が変えられない。
さっさと脚立を買ってきたらいいだけの話なんだけど、、、
なんだかゾッとする。
このまま一人で何でもできるようになってしまってどうするんだろうかと。
一人で重い脚立買いに行くより他に身につけなきゃいけない術があるんじゃないのかと。
あと単純に持てないし絶対転ぶし。
そんなわけでほっといたら間接照明生活。
高い天井にもめげず脚立抱えて一人で蛍光灯を変えられるようになることと
素直に誰かにお願いできるようになることと
どっちが"大人の掟"なんだろう。。。
白黒なんてついなくたっていい、誰かがいる日常を、温かいごはんや同じシャンプーとまでいかなくたって、おはようとおやすみが言えたりいちいち確認しなくたって唐揚げのレモンの好みがわかる、そんな誰かとの日常。
あのドラマを見たから憧れるのか
共にしたい誰かがいるから欲してしまうのか…
ドラマを見ながら あの人は今何してるのかな とフト顔が浮かんだけれどLINEの画面開いて結局閉じた。
他人のパンツに三万出せても白黒ついてなきゃ他愛ないLINEひとつ送れない。大人ってなんだろう。。orz
とりあえず来週までオレンジの蛍光灯が切れないことを祈りつつ、戸籍の買い方でも調べてみよう。